神奈川宿のみどころ(6)


大綱金刀比羅神社

この社は、はじめ勝軍飯綱大権現と称して、現境内のある裏山即ち飯綱山にありました。文政年間(1818~1829)に山下に社殿を移したのが現在の境内地です。海運の守り神として、神奈川湊に出入りする廻船問屋の信仰を集め、船乗りが航海の安全を祈願して賑わいました。鳥居の脇には日本橋から7つ目の一里塚がありました。


台町・茶屋

神奈川宿の台町は、袖ヶ浦と呼ばれた景勝地で、十返舎一九は「東海道中膝栗毛」の中で「ここは片側に茶店軒を並べ、いずれも座敷

二階造り、欄干つきの廊下桟など渡して、浪うちぎわの景色いたってよし」とうたわれ多くの茶屋が並んでいました。江戸時代中期以降、大山参詣、富士登山、伊勢参り等庶民の旅行が盛んになり、西に向かう旅人にとっては江戸湾を遠望できる最後の場所であり、江戸に向かう人にとっては一息入れる休息所で賑わった所です。


関門跡

開港後、外国人殺傷事件が多発したうえ、犯人を捕らえることができずに、幕府は諸外国から激しく非難されました。子安、台町、

石崎、暗闇坂、吉田橋、宮の河岸渡船場等に関門と番所を設け外国人の保護と武士の取締りに当りました。明治4(1871)年に廃止されました。


台町から横浜駅 西口のゴールをめざす

「神奈川台石崎楼上十五景一望之図」(安政5年)に台町から袖ヶ浦へ下る急な階段が4か所描かれています。それらの階段を下りきった所は海でした。この「神奈川宿歴史の道」のゴール地点は、現在も当時の面影を色濃く残す急な階段を下り、江戸時代は海の中だった鶴屋町から横浜駅西口のゴールをめざします。